ミルデ『音階と分散和音の25の練習曲(作品24)』を45分で1周できるテンポとは

2025.5.3


©INTERNATIONAL MUSIC COMPANY
25 Studies in Scales and Chords, IMC版表紙

ミルデのスケール&コードは「♩= 84」で通すと45分で終わる

 ルートヴィヒ・ミルデ(Ludwig Milde)が書いたファゴットのための練習曲集『音階と分散和音の25の練習曲(作品24)』はプロアマ問わず世界中で使われている練習曲集です。(25 Studies in Scales and Chords, IMC版表記 / Studien über Tonleiter und Akkordzerlegungen für Fagott, Hofmeister版表記)。近年、日本版が全音から「25のエチュード」として出版され、話題となりました。

 先日、蛯澤亮さんの「えびチャンネル【蛯澤亮のおしゃふぁご】」の「2人の日課はミルデのスケール1冊まるまる! 学生時代きつかった馬込先生のレッスンの話。」(2024/03/27配信)を視聴していたところ、大場貴央さんと石川晃さんの会話の中でミルデのエチュードは毎日吹く、というお話がありました。

 大場さんは「学生のときには1冊吹くのに1日かかった」、石川さんも「学生のときにチャレンジしたけど吹けなかった」とおっしゃっていましたが、大場さんは「30歳過ぎには午前中で終わるようになった。もうちょっとがんばったら朝10時くらいに終わるようになった。朝6時半からさらっている」と続けます。

 さらに「当時、霧生(吉秀)先生も馬込(勇)先生も、僕は45分でさらうって言っていた」(大場さん)、「霧生先生は2周していたからね」(石川さん)。そして大場さんは「コロナ禍で、イチから練習し直したら、45分で終わるようになった」と話します。

 これを聞いて私は25年以上前に、霧生先生ご本人から「これ(ミルデ)を1冊を通すのに1時間は掛からないよ。だから毎日できるよ」とお聞きして、仰天したことを不意に思い出したのでした。

 しかし改めてこの話を振り返ると気になる点が湧いてきます。25曲で構成されるこの練習曲集を、どのようなテンポで吹き続けると45分で最後の音まで到達するのか。私は先生方のテンポを推測してみようと思い立ちました。

 この本をお持ちのかたは、お手元の本をご覧ください。お持ちでないかたは、出版社が公開している第1曲の譜例をご参照ください(下記画像)。この練習曲集にテンポ指定はなく、自分のペースで進めることが可能です。

 この本の曲集は、全曲を一定のテンポで進めることが可能です。ということはやや強引ではありますが、機械的に算出すれば先生方のテンポを推測できるのではないかと思い立ちました。その結果、「♩= 84」で演奏し続けると、44分55秒で全曲を演奏できるという結論に達しました。その算出の経緯を下記に示します。

 1)25曲すべての小節数を計数
 2)25曲すべてにおいて、曲中でのテンポ変更や拍子の変更はありません
 3)小節数 × 各小節の拍数 = 四分音符換算でのその曲の総拍数 を算出
 4)③をすべて合計すると、3774拍であることがわかりました
 5)3774拍の演奏が45分にもっと近いテンポ(T)を計算
   3774 ÷ T ≒ 45min.
 6)その結果、T = 84 の場合に、44.928 ≒ 44分55.7秒 となる

 下記が楽曲ごとの一覧表です。

# Time bars Times per bar Total# of notes(♩)
曲番号 拍子 小節数 1小節あたりの拍数 四分音符換算での総拍数
1 4/4 33 4 132
2 4/4 36 4 144
3 3/4 49 3 147
4 3/4 47 3 141
5 4/4 40 4 160
6 4/4 38 4 152
7 4/4 34 4 136
8 4/4 32 4 128
9 4/4 35 4 140
10 4/4 33 4 132
11 4/4 38 4 152
12 3/4 47 3 141
13 4/4 36 4 144
14 3/4 42 3 126
15 4/4 39 4 156
16 4/4 32 4 128
17 4/4 38 4 152
18 6/8 51 1.5+1.5 153
19 4/4 36 4 144
20 3/4 46 3 138
21 4/4 37 4 148
22 4/4 34 4 136
23 4/4 45 4 180
24 4/4 42 4 168
25 4/4 74 4 296
合計 3774

 ♩= 84は、決して非現実的な速さではありません。しかし、よい音、よい音程で正しく45分間も演奏しきることはアマチュアにとって険しい道のりです。この一事からも、一流(超一流!)の先生方の凄みを改めて感じたしだいです。さあ私も練習してこようっと!

ファゴット奏者にして作曲家、ミルデという人物について

 最後にこの練習曲集の作曲者であるミルデについて、少し覚書を残しておきます。

 ミルデは1849年4月30日にチェコのプラハで生まれました。なので彼の名前はチェコ語読みの「ルドヴィーク」でも知られています。当時のチェコはオーストリア帝国領(ハプスブルク家)のボヘミアです。ヨーロッパ各地に革命や民族主義が勃興した時代背景であったことを押さえておくとよいでしょう。

 音楽史的にはベートーヴェンが56歳で死去してから22年が経っています。若き日のブラームスやシューマン、メンデルスゾーン、ワーグナーなどが最前線で活動していた時期でした。スメタナ(1824年生-1884年没)も現役です。ドヴォルザークは1841年生まれですから、ミルデより8歳年上です。そのような時代にミルデは成長したのです。

 ミルデはプラハの音楽院にて、当時チェコのファゴット演奏で第一人者とされるヴィンチェンツ・グロスのもとで1867年まで学び(18歳頃まで)、1868年から1870年まで(21歳頃まで)は作曲と和声をスクヘルスキー(Skuhersky *1)教授のもとで習得したとされています。スクヘルスキーは1866年から1890年までプラハ音楽院で教授職にありました。

 ミルデは、1870年から1872年(23歳頃)までリンツ歌劇場の首席ファゴット奏者を務めます。その後はボヘミアやオーストリア各地の歌劇場やオーケストラで演奏し、プラハに戻ったようです。

 1886年(資料によっては1885年)から1894年まで(37歳頃から45歳頃まで)プラハ音楽院でファゴットの指導者を務めます。退任後も指導や演奏の活動を継続していました。1913年にドイツのバート・ナウハイム(フランクフルトから北へ28キロほどの都市)で死去しました。67歳でした。墓地は当地にあるのか、それとも遺骨はプラハへ還ったのか。そこを知るには調査が必要です。


最初の版とされる本の表紙

 ミルデが練習曲集をいつ作曲したのかは不明のようです。没してから22年後の1935年に最初のドイツ語版が出版されました。

 ミルデはファゴット独奏作品の作曲家としてヨーロッパ各地で知られていたようですが、練習曲集の教育的価値が評価されるようになったのは1945年(第2次大戦終結)以降のことと言われています。モーリス・アラールはミルデについて「作曲家としては歴史上の偉大な人物たちと並ぶほどではないが、ファゴットの本質的な理解については紛れもなく天才だった」と評しています。

 ミルデの生涯については、IDRS(国際ダブルリード協会)の2つの記事を参照しました。(下記はアーカイブのリンク)

LUDWIG MILDE--ABOUT THE BASSOON, A GENIUS By Gerald E. Corey and Will Jansen, Nieuw Loosdrecht, Holland

Famous Bassoon Tutors and Their (Less Known) Authors By Will Jansen, Niewloosdrecht, Holland

 ちなみに、ファゴット奏者の必修教本の作者であるワイセンボーン(Christian Julius Weissenborn, ヴァイセンボルン)は1837年に生まれています。ミルデの1回り上の世代。生まれた場所はアイゼンベルク近郊のフリードリヒス・タンネックという町です。若い時期からライプツィヒで活動し、ゲヴァントハウス管弦楽団の首席を長年にわたって務めました。没したのは1888年4月21日。51歳でした。

 ヘッケル社の楽器開発に貢献し、全調音階練習曲集を書いたカール・アルメンレーダー(Carl Almenräder)は1786年生まれ、1843年没です。ワイセンボーンとは50歳も離れています。アルメンレーダーの生涯については、ヘッケル社のWebサイトで紹介されています。
Person > Carl Almenräder|Wilhelm Heckel GmbH

[おわり]

※[註1] Skukerskyと記述されている資料が散見されますが、これは私も参照したヤンセンの記事での誤植が広まっているようです。チェコ語表記の「František Zdeněk Skuherský」という資料が見つかるので、hが正解でしょう。スクヘルスキーは、ドヴォルザークの母校でもあるプラハ・オルガン学校(のちにプラハ音楽院に吸収)の出身です。「オルガン学校」は教師と教会オルガニストを育成する学校で、「音楽院」はオーケストラの演奏家と歌手を育成する学校でした。
https://en.wikipedia.org/wiki/František_Zdeněk_Skuherský